老後問題

昨日は老後のことを考えて、あれこれ検索していたら眠れなくなった。

どう考えても年金だけでは暮らして行けない。

個人年金保険は掛けていないので、貯蓄だけが頼り。

一応「何かあった時のために」と、毎月少しづつ貯金はしているものの、全く足りない。

今の日本、お金を持ってる人と持ってない人の差が激しい。

政府は一体何をしてくれるんだろうか。

多分大したことはしてくれない。

定年まで働けたとして、その先、年金受給までの間どーしよう。

健康であれば仕事はあるかも。

でも家賃を払いながら生活出来るだけの収入は確保できるのだろうか…。

考え出したらキリがない。

でも考えざるを得ない。

みんなは老後のこと、どう考えてるんだろう。

新時代も不安ばかり

1年以上ぶりの更新です。

あっという間の1年…そして元号まで変わりました。

元号が変わると言っても浮かれていられない私。

やっぱり50代も過ぎると、1年間にいろいろな出来事があります。

一昨年 父が他界し、去年の一周忌までの間、いろいろな手続き、決断せざるを

得ない問題などに追われ、さらに自分の体もストレスのせいか各種数値が悪く

なったり。

そんなわけで、全て解決したわけではありませんが、期日があるものに関しては

とりあえず対処しました。

年末には一大決心の上、スポーツクラブに入会。

ダイエットもそうですが、各種数値を正常にするのが目的。

独り身の私は、病気にでもなって家族に面倒かけるのだけは

避けたいので、苦手な運動に挑戦。

3ヶ月過ぎたものの、体重も体脂肪も変化なし。

でも、やらないよりはやった方がいいだろうし、きっと数値には反映されてると

信じて、もう少し続けるつもりです。

そして、平成の終わりから新たな問題に直面しています。

まだ全貌が明らかではないので、私自身も頭の中整理して、またこの場で

吐き出したいと思います。

いじめ問題

この世からいじめはなくならないのだろうか?

私も小学校4年生頃に軽いいじめに遭ったことがある。

でも今のように陰湿でもなければ、暴力も無かった。

今の感覚のままあの日に戻ったら、いじめとカウントしないかもしれないようなこと。

でも当時の私は当然今の感覚は持ち合わせていないし、学校と家と狭い世界で生きていた。

そんな中で友達だった人に無視され、ヒソヒソ噂され、本当にどうしていいかわからなかった。10分の休み時間も1時間くらいに感じる。

そして親にも先生にもなにをどう伝えればいいのか全く分からず、何がどうなればいいのかもわからなかった。

狭い世界で生きて、経験値もない小学生は到底客観視なんて出来ない。

自分に何が起きていて、いつの何が原因かすらわからない。

もう一生続くのではないかとさえ思った。

当然限界まで耐えてしまうので、「もう無理」となった時はただ泣くばかりで、順序だてて説明も出来ない。

全てが嫌になる。私の場合、主犯格が飽きてしまったのか、ある日突然いじめは終わった。

もしかしたらターゲットが変わったのかもしれない。

なので、今でも「いじめ」と聞くと悲しくなる。

救済措置対策もちらほら出て来ているようだけれど、今ひとつパッとしない。

いじめが始まってからではなく、その前の段階で手を打たないと。

そして、学校へ行きたくない人は行かなくていいとか、こうすれば高校卒業と同じライセンスがもらえるとかの措置も出て来ているけれど、なんかズレてる気がする。

学校へ行きたくないのはいじめる奴がいるからだし、高校卒業と同等ではダメな人もいる。

将来の夢があり、あの大学であの勉強をしないとそれにはなれないものだってある。

その学校はそういう大学に入るための手段だったのかもしれない。

いじめられてる人に手を差し伸べる時、いち早く気がつき、寄り添うのはとても大事だと思う。なのでそういう機関はどんどん出来て欲しいし、手厚く対応して欲しい。

ただ、どうして悪いことをしてない方が去らなきゃいけないのか理解できない。

いじめをしてる人の方が悪いのだから、そちらが出て行くべきだと思う。

いじめられる方も悪いと言う人がいるけど、いじめられていい理由なんてあるはずがない。

むしろいじめている方に問題や深い闇があるのではないかと思う。

国際化、国際化といいつつ、みんなと同じことに安心し、ちょっと違う人がいると笑い者にしたりいじめたりする子達を育てておいて、何が国際化なのか。

人種も国籍も文化も違う人たちと共存できなければ国際的にはなれない。

外国語を話して、外国へ行って、それが国際化だとでも思っているのだろうか。

とにかくいじめ問題、もうちょっと本気で考えて欲しい。

こうして気にしている一般人も多いと思うし、何か協力できることを考えたい。